2006年6月18日 "模範的な教会" Ⅰテサロニケ人への手紙 1:2-10
 신복규    | 2006·06·17 21:29 | HIT : 3,692 | VOTE : 468 |
2006年6月18日 模範的な教会 Ⅰテサロニケ人への手紙 1:2-10

日本の方々はラーメンが好きです。TVを見てもラーメンがおいしい店を取材してベスト10を発表したりします。ベスト10に入っている店は列ができて多くの人々が並んで待つ姿を見られます。ラーメン一杯のためあのように並んで行かなければならないかと言う人もいます。ところで、不思議なことに人が並んでいる所にもっと関心があって、行って見たいなと思うのが現実です。小岩にも新しくラーメン店ができましたが、その店の前にはいつも人々が並んでいます。私もいつか行って食べてみたいなと思っています。

多くのラーメン屋さんがいありますが、どの店を選択すかは迷うことはないでしょうか。多くの人々はうわさによって動きます。実際にその食べ物がおいしいか、まずいかは関係なく、どれくらい有名なのか、うわさが広まっているかなどを先に見てしまいます。すなわち、うわさが重要であることです。

教会も同じであると思います。良いうわさが広がっている教会は成長します。しかし、良くないうわさが広がれば中々成長するのが難しいです。では、どのようにすれば私たちの教会が成長して行くことができるのでしょうか。それは、なによりも良いうわさが広がっていくことです。

今日のテキストに登場するテサロニケ教会はうわさが広がっている教会でした。.テサロニケ教会の信仰のうわさが多くの所に広がっていたのです。その理由は何だと思いますか。

先にテサロニケ教会の背景を見ます。この教会を理解しようとすれば使徒の働き17章を見なければなりません。この教会は、パウロとシラスが第二次伝道旅行の時、立てた教会です。約3週間位福音を伝えましたが、敬虔な貴婦人たちを含め、多くの人々がイエスさまを信じたのです。

これを見たユダヤ人たち福音宣教を妨害したので他の場所に逃げて福音を伝えますが、場所を変えても彼らの妨害は終わらなかったのです。結局、パウロはコリントに行き、テモテとシラスはテサロニケに留まったのです。パウロはコリントで福音を伝えながらテサロニケの教会の状況を知りたかったのです。その時、テモテがコリントに来たのです。7-8にこうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる 所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。

ここで二つのことを誉めています。一つはテサロニケ教会の聖徒たちが信じる者たちの模範になっていること、もう一つは彼らの信仰のうわさがあらゆる所に広がっていることです。ヨーロッパ、マケドニアだけでなく、アジアに至るまでテサロニケ教会が立派だといううわさが広がっていたのです。このような良い知らせを聞いたパウロはとても喜んだのです。
2節に、私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚えていると言っています。

私たち東京聖光キリスト教会もこのようなうわさが広がるのを願っています。信じる者の模範になる教会、信仰のうわさが日々に伝わる教会になるのを願います。

では、テサロニケ教会が短い時間にこのような良い信仰のうわさが広がることができた秘訣は何でしょうか。
3節に記録されています。一緒に読んで見ます。絶えず、私たちの父なる神の 御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の勞苦、主イエス · キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。これら三つが彼らにあったのです。
第一に、信仰の働きです。
信仰は、信仰生活の出発点です。信仰は知識や経験ではなく、神様に対する信頼から出発します。世の中の信仰は自分の主張や確信を持って信じます。しかし、私たちの信仰は、ヘブル11:1に、信仰は望んでいる事がらを保證し、目に見えないものを確信させるものです"。言っています。

イスラエル民たちが荒野の道を旅している時、罪を犯したため蛇にかまれて死にました。その時、モーセは民を救うために祈ります。
民数記21:8-9 神様はモーセにあなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。モ ― セは 一つの靑銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が靑銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。

誰でもそれを仰ぎ見れば生き、 仰ぎ見なければ死にます。信仰とは単純です。複雑ではないです。ある人は不平を言いながら仰ぎ見ないです。"いや蛇にかまれたら薬でなんとかしなければならないのに、旗ざおの上につけている蛇を見て生きることかできるかと信じないで、仰ぎ見なかった人は死んだのです。しかし、それを信じて仰ぎ見た人は生きたのです。信仰とは仰ぎ見ることです。私たち人間はできなくても神様は何でもできる方だと信じるのが信仰です。

信仰がなければ神様に喜ばれることができないと聖書は言っています。

今私たちに必要なことは世の中で搖れることのない信仰です。いくら現実の壁が高くても信仰の目で仰ぎ見れば道が開かれます。私たちに危機が来て、苦難が来てもただ信仰の目で主だけを仰ぎ見ましょう。神さまは必ず私たちの問題を解決してくださいます。

二番目,愛の勞苦がある教会です。
テサロニケ教会は 愛の勞苦がありました。艱難と迫害の中でお互いをかばってやって、信仰の中でお互いに面倒を見て励ます愛がありました。
みことばを聞く時、人の言葉で聞かないで、ただ聖霊の力と確信を持って慕いました。その愛でテサロニケ教会はすべての苦しみに勝つことができたのです。

今日、私たちは溢れる愛のことばを聞いて生きています。愛の歌やドラマも多く、詩も多いです。ところで愛に飢えています。 何故でしょうか。多くの人々が利口的で、損をしようとしていません。 愛の本質は犠牲です。自分の一番大事なものを与えることができるのが真の愛です。しかし、今日の愛は条件的です。犠牲を払おうとしません。

教会も同じです。いくら愛を叫んでも愛の犠牲がなければ実がないです。イエスさまの愛は言葉にする愛ではなく、十字架の上で私たちのような罪人のため自分の身をいけにえとして与えてくださったのです。その愛によって私たちが救われ、永遠の命を得ることができたのです。

今日、私たちが快適な環境の中で礼拜を捧げることも 愛の勞苦があることを覚えなければなりません。人の前に出ないで黙々と掃除をしてくださった方、花をさして飾った方、聖歌隊員、教会学校の教師など、黙黙と働く愛の勞苦があるから私たちはこんなに礼拜することができるのです。

最後に,望みの忍耐がある教会です。
テサロニケ教会は多くの迫害の中で神様の約束を信じる望みを持って忍耐しました。我慢して耐えました。偶像を捨てて神様を仕えました。私たちも同じではないでしょうか。

この世には絶えない葛藤と争いがあります。時には、信仰の道を歩もうとすると、痛みもあって苦しみもあります。しかし、私たちは天に望みを持って耐えなければなりまえん。目に見えるのが全べてではないからです。わたしたちのための復活の栄光が備えられているからです。最善をつくした農夫は収穫の喜びを待ちます。忍耐がなくては実を収めることができないです。

私たちの教会も、私たちも同じです。私たちが願わなくても時には危機や苦しみが訪れます。しかし、私たちは最善をつくして神さまから与えられた使命を果たさなければなりません。

どのような環境の中でも不平不満を言わないで、望みの忍耐を持って進みましょう。私たちが主に仕えることができるとき、教会もうわさが広がっていきます。そうすると、神の前で、人の前で認められ、誉められる教会になることを信じます。
동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
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