2005年10月30日 "福音の核心" ローマ1:8-17 
 신복규    | 2005·10·29 20:44 | HIT : 2,519 | VOTE : 497 |
福音の核心 ローマ1:8-17 2005年10月30日

使徒パウロは、福音の核心について16-17節で言っているし、ローマ書全体の主題を言っています。私たちは福音のことばを良く聞いているし、また、話しています。にもかかわらず、福音について正しく理解できない部分もありますし、核心を知らない人もいます。

使徒パウロは、福音の核心について正しく理解していて、この福音を伝えるため生涯を捧げたのです。だから彼は、1節で神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたと自分が使徒として召されたことを明らかにしています。彼は福音を伝えることに召されたから生涯を通してイエス・キリストの十字架の福音を伝えるためいのちさえ捧げたのです。
使徒の働き20:24節に、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。と、福音の力についての確信があったのです。だから、1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っていると言っているし、1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力であると言い、結論として、「義人は信仰によって生きる。」と言っています。では、私も、皆さんもこのような福音の確信を持っているのでしょうか。

1.福音を恥とは思わない理由が何かを見てみましょう。
一緒に1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
私たちが福音を恥と思ってはいけない理由は、救いに関する良い知らせだからです。また、自分の救いに関する問題だからです。私たちが常識的福音の意味が“良い知らせ”だと知っています。では、何故良い知らせあるんでしょうか。それは、一言で言えば、救いの宣布だからです。

17節に、福音のうちには神の義が啓示されたと言っています。福音のうちには神の義が啓示されたことは、神さまの義が福音の中にあることです。神さまの義は、イエス・キリストの十字架の流された血と復活を通して現れたのです。その義が罪人である私と皆さん一人一人に転移された事実であります。すなわち、私たちは罪のため救われることができない者でありますが、福音の中で神さまの義、イエス・キリストの十字架と復活を通して、私たちの義を認めてくださったのです。これが良い知らせです。ヨハネ1:12節、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。と言っています。罪があって死ななければならない私たちがイエス・キリストの贖いの血によって救われたから良い知らせであるのです。だから、救いは神さまからのプレゼントであるのです。

したがって、救いが神さまからのプレゼントである事実のため、私たちが福音を恥と思わないで、福音を誇りと思い、福音を伝えていくのです。

私たちが確認しなければならないことは、私たちが教会にいくら熱心に通っても救いを得ることはできません。熱心に祈ったとしても救いが保証されることではないです。
救いは、人から出たものではなく、神さまから出たものだから私たちは神さまだけに頼らなければなりません。すなわち、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないことです。福音を恥と思わない理由は、キリストを通してだけに救いがあるからです。
ヨハネ14:6に、イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。と言われました。

多くの宗教者は、自分たちの宗教だけが救いがあると言っています。でも、イエスさまは、私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。とはっきり言われました。イエス・キリストを信じれば救われるのです。

2.「義人は信仰によって生きる。」ということばが与えてくれる真理とは。
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

「義人は信仰によって生きる。」と言ったのは預言者ハバククです。この聖句は、福音の核心を明快に明らかにしています。この箇所は、ルターが宗教改革を起こす信仰と勇気を与えたのです。ルターは修道院で苦しみを受けていました。どうすれば人は救われるかを研究しましたがその答えが出てこなくて苦しんでいるとき、この箇所から答えを見つけ、暗黒時代の誤まった信仰を正しく直したのであります。

今日、教会の中でも福音についての知識を持つ人は多くいます。聖書の研究はや、説教を通して知っています。永く、教会に通っていたからイエスさまが誰であるか、十字架が何か、復活が何かなどを耳にたこができるほど聞きました。でも、彼ら全てが救われるのではないです。だた、福音を信じる者だけが救われるのであります。私たちが多く知るか、知らないかが問題ではないです。問題は、信じるか、信じないかです。いくら多く知っていても、信じなければなりません。救いは福音を信じる人だけにあることを知らなければなりません。

皆さんはいかがでしょうか。自分自身に聞いてみてください。私は福音を知る人か、信じる人か。どちらですか。深刻に考えてみてください。

この世の人々は知識が力だと言っています。しかし、聖書は信じることが力だと言っています。聖書は知ることによって救われるのではなく、信じることによって救われると言っています。ピリピの看守がパウロに』先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と聞くと、使徒6:31に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言ったのです。

聖書に多くの奇跡が起こったことが書かれています。しかし、奇跡は信仰があるところで起こったのです。イエスさまも信じない人の前では奇跡を行わなかったのです。だから、彼らは福音を聞けなかったし、そして、救われる機会も失われてしまったのです。

だから、パウロは16節で信仰を強調しているのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。と。パウロは福音を知るすべての人にとって、救いを得させる神の力だと言わなかったのです。信じるすべての人だと言います。

彼がそう言ったのは、福音の力を信じたからです。彼は、福音がこの世の学問とか、権力とか、お金より価値があるのを信じたのです。だから、彼は福音のしもべになることを願ったのです。そして、福音のため自分のいのちを捧げたのです。彼は、使徒20:24で、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。と言ったのです。

愛する皆さん!
今日、神さまは福音伝播の私たちを呼んでおられます。6節に、あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。と。
過去、パウロを呼んで偉大な仕事をさせた神さまが、今、私と皆さん一人一人を呼んでいます。そして、福音を信じるようにし、体験を与え、救い出してくださり、キリストの働き人としたのです。この呼びに応答してください。私たちが信仰によって応じれば、神さまは私たちを通して大きな仕事をなさいます。このような恵みと祝福が私たち一人一人にありますよう祈ります。

동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
  2005年12月11日 "忍耐する聖徒"  ヤコブ5:7-11    신복규 05·12·10 3030
  2005年9月18日  『よくなりたいか』  ヨハネによる福音書5章2-9節   滝能章夫神学生  운영자 05·09·17 3570
Copyright 1999-2020 Zeroboard / skin by GGAMBO