2006年1月1日 "キリストを見習う者となりなさい"。 Ⅰコリント11:1
 신복규    | 2006·01·05 10:23 | HIT : 2,754 | VOTE : 490 |
2006年1月1日 Ⅰコリント11:Ⅰ キリストを見習う者となりなさい。

11:1 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。

髪の毛を切るために美容院に行くとお客さんが来てタレントのだれだれさんのようにしてください。と頼むことを見ることができます。タレントさんのヘアースタイルが気に入ったみたいですね。ヘアースタイルだけではなく、世界的な有名な科学者、政治家、芸能人などをモデルとして、彼らが歩んでいる道を歩もうとしています。誰かを見習って、どのように生きていこうかなどを学び、彼らの人格を見習って私たちの人格も形成されるのです。

今日のテキストにも使徒パウロはコリント人たちに自分を見習ってくださいと言っています。11:1 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。

ここで見習うということは、誰かを目標としてまねをすることです。ピリピ4:9に、あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。と書かれています。学び、受け、聞き、また見たことを実行することは、その人を見習うことです。

しかし、テキストから見ると、パウロは自分を見習いなさいと言っています。人が自分を見習いなさいと言わないでです。なぜなら、人間はたりない部分があるからです。完全ではないからです。にもかかわらず、パウロが自分を見習いなさいと勧めているのは、彼がイエス・キリストを見習っているのをテキストから見ることができます。

したがって、私たちがキリストを見習うことは、パウロのようにキリストを見習っていくことと、自分を通してキリストを現すことです。事実、私たちがキリストになることはできませんが、キリストを見習う内に自分も知らずにキリストのように変わっていく事実です。キリストを見習ってキリストが表れるのは、まことの信者の人生です。では、どうすればイエス・キリストを見習っていくことができるのでしょうか。

1.イエス・キリストと出会うことです。
人は良く会う人を見習います。夫婦は似ていくと言われます。何故でしょうか。だぶん、毎日会うからでしょう。毎日会うから互いに似ていくのです。そして、その人の友達を見ると彼の人柄を知ることができると言っています。人は、よく遭っている人の影響を受けます。その人のことば使い、行動、などを自然に似ていくのです。

パウロもタマスコの途上でイエスさまと出会います。その後、彼の人生は変わります。イエスさまを迫害した人がイエス・キリストの福音を伝えていくのです。
このように私たちもイエスさまを出合わなければなりません。そうすれば、イエスさまを見習って行くことができるからです。

2.自分を捨てる謙遜がなければなりません。
使徒パウロは当時、最高の学問を学んだ知識人だったのです。どんな人と比べてみても足らない人でありました。しかし、彼は私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。と告白しています。このようにすべてのものを捨てたからイエス・キリストを見習うことができたのです。

しかし、今日の私たちの姿はいかがでしょうか。利巧主義で、自分自身中心で自分を捨てることは中々難しい時代です。だから、イエス・キリストを見習うことができません。適当な距離をおいて信仰生活をしています。深く入ることを望んでないのです。

愛する皆さん!
私たちは自分自身を捨てなければなりません。自分自身を捨てることはイエスさまと出会うチャンスです。自分自身が謙遜でなければイエスさまと出会うことはできません。したがって、パウロのようにすべてのものを捨てて、へりくだるとキリストを見習うことができるのです。

3.見習うとすれば愛しなければなりません。
人は自分が好きな人のまねをして似ていくのです。ヨン様を好きな人は彼のサングラス、マフらをして真似をしています。彼が好きだからです。人は自分が好きな人とか、尊敬する人を見習います。外見だけではなく、内面の人格まで似ていくのです。このように、パウロはイエスさまを愛し、慕ったからイエスさまを見習ったのです。
人は誰を見習うかがとても重要です。その見習いによって人生が変わるからです。

今日のテキストに出て来るパウロはユダヤ教の人で、イエスさまを信じる人を捕まえて牢屋に入れた人です。ステパノが石打ちで殺される時、喜んだ人です。その人がイエスさまと出会って完全に変わります。 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。とし、後に殉教者になります。

私たちもこのような信仰を持ちたいです。私たちの子どもや後輩たちに私を見習いなさいと言える信仰者になりたいです。私が献身しているようにあなたも献身しなさい。私が祈るようにあなたも祈りなさい。感謝することも、喜ぶことも自身を持って私を見習ってくださいと言える皆さんとなりますように。

太陽は自ら光を放つ発光体ですが、月は太陽の光を受けて放つ反射体です。私たちは自ら光を放つ発光体ではありません。イエスさまが放つ光を受けて反射する反射体です。

私たちは足りないものでありますが、私たちにはイエス・キリストの永遠なるいのちがあります。また、イエス・キリストを信じる信仰があるから変わります。ひまわりは太陽が動く方向に動いているよう私たちもイエスさまを見習ってイエスさまを中心して生きて生きたいと願っています。

また、パウロが、私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。と言える信仰者になりましょう。 
동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
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