2006年1月8日 "キリストを見習う者となりなさい。(Ⅱ)" ヨハネ13:8-15
 신복규    | 2006·01·10 18:50 | HIT : 3,436 | VOTE : 473 |
2006年1月8日 キリストを見習う者となりなさい。(Ⅱ)ヨハネ13:8-15

13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。と、イエスさまが私たちの模範になってくださったと言っています。イエスさまが弟子たちの足を洗ってくださったその理由は何だと思いますか。それは、私たちがイエスさまに倣って、イエスまのように行ない、イエスさまのように生きていくためです。

今日のテキストの背景は、イエスさまは弟子たちと一緒にあちこちにいらして福音を伝え、疲れて帰ってきたときです。その日は木曜日でありました。明日は、過越祭りで、この日の夜が明けるとイエスさまが十字架を担わなければならないのです。したがって、イエスさまの心は苦しんでいたと思われます。

当時、ユダヤ人には習慣一つとして彼らが外から帰ってくると家の入口にある水瓶の水で手と足を洗う習慣がありました。ユダヤ地方は、暑くてほこりが多いです。だから、出かけてから帰ってくると家にいる僕たちが主人や訪れてくるお客さんの足を洗ってくれるのです。ある時は、主人が直接お客さんの足を洗ってくれることもあり、人が多い場合にはお互いに足を洗ってあげる時もあります。しかし、その日には、疲れ果てて帰ってきたイエスさまや弟子たちの足を誰も洗おうとしていなかったのです。

その時、イエスさまが13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。と書かれています。

イエスさまは弟子たちの足を洗ってくださいました。ペテロの番が来ました。彼は、「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」「決して私の足をお洗いにならないでください。」その時、イエスさまは「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」と答えられたのです。そのとき、ペテロは驚きました。イエスさまと自分が何の関係もないことは、想像もしなかったからです。ペテロは自分のことばを訂正して、13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」と、

すなわち、主が私の足を洗うことで関係が成立するなら、足だけではなく、頭も洗ってください。手も洗ってください。体全体を洗ってください。このような意味であるでしょう。
しかし、イエスさまの答えは、10節に。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」と。

そして、イエスさまは弟子たちの足を洗ってから弟子たちに、13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。と言い、15節で、わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。ここからイエスさまから何を見習うべきかを考えて見ます。

1.イエスさまの愛を知り、イエスさまが模範に示した愛を行うことです。
イエスさまの愛は限りない愛です。愛することができない時も、愛することができない人までも愛してくださる方です。私たちもその愛を知り、自ら行うべきです。私は多くの人を赦してあげるが、その人だけは赦すことができないし、愛することができなと言う人を良く見かけます。

そのような場合も愛していかなければなりません。13:17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。と言っているからです。

イエスさまは自分を裏切り、売ってしまうイスカリオテ・ユダの足を洗ってくださったことを考えてみてください。そして、罪によって死ななければならない私たちまで愛してくださったことを考えて見てください。それを心に刻んで愛することができない人までも愛することができる皆さんとなりますように。

2.イエスさまの謙遜を知り、イエスさまが模範に示してくださった謙遜を実践する時私たちは祝福されるのです。

Ⅰペテロ5:5、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ペテロは、手ぬぐいを取って腰にまとわれ、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふいてくださったイエスさまの姿を思い出して、私たちに謙遜を腰にまとって行きなさいと言っています。イエスさまの謙遜な姿を思い出して私たちも謙遜に仕えていかなければなりません。

私たちもイエスさまの謙遜を見習って仕えていきましょう。そうすると、私たちの教会も成長していくと信じます。

3.信仰によって行うことです。
私たちはすぐ怒ります。そして、人を非難しやすいです。しかし、イエスさまは弟子たちが自分から離れ、否認し、売ってしまうことも知りながら、弟子たちの足を洗ってくださいます。何でそんなことが可能でしょうか。7節に、「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」と言う信仰があったからです。

彼らは現在には、情けない者でありますが、後で、主のために迫害され、十字架にかかり、殉教していく彼らの姿を見たからです。したがって、現在には情けない者たちでありますが、彼らを信じて足をあらってくださったのです。

結論:
イエスさまは自ら上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれ、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふいてくださったのです。弟子たちの高慢な心を低くしたのです。

この時間、イエスさまの愛が私たちの愛になって欲しいです。到底、愛することができない、赦してあげることができない人をも愛してくださったイエスさまの愛が私たちの愛になって欲しいです。そして、私たちがイエスさまの謙遜を知り、私たちも謙遜に仕える者となりましょう。今はわからないが、あとでわかるようになる信仰を持って、人を認め、立ててあげ、理解してあげる皆さんとなりますようにイエスさまの名によって祝福します。
동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
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