2006年1月29日 "イエスさまの弟子" マタイ4:18-22
 신복규    | 2006·01·31 14:43 | HIT : 3,751 | VOTE : 482 |
2006年1月29日 イエスさまの弟子 マタイ4:18-22

今日のテキストの内容は、イエスさまが弟子たちを呼ぶ場面であります。今日のテイストの並行箇所としては、ルカの福音書5;Ⅰ-11に書かれていますが、イエスさまが弟子たちを呼ぶ時、彼らが従順してイエスさまの弟子になるのであります。19節に、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。

教会も働き人が必要でありますし、会社も同じです。人を選ぶ時は慎重に選びます。人を選ぶ時には、慎重に選びます。多くのトラブルが起こるし、会社でえはすぐやめてしまうからです。

しかし、イエスさまはご自分の弟子を選ぶ時、知恵があって、教養もあり、尊敬されるような人を選べるヘロデの宮に行かなかったのです。また、宗教的に偉い人々がいるエルサレムに行かなかったのです。平凡な人々が生活しているがリラヤの湖にいらして弟子たちを探したのです。歴史家ヨセプスは、AD1世紀頃、ガリラヤ湖には240隻位の舟が魚を取っていたと言っています。その中でふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレを、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを呼んで弟子としたのです。

1.すべてのものを捨てなければなりません。
イエスさまは、漁師だったペテロとアンデレをご覧になって彼らに「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」言われた時、
4:20 彼らはすぐに網を捨てて従ったのです。イエスさまは、別のふたりの兄弟、ヤコブとヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従ったのです。私だったら何か質問とか、何で私が付いていかなければならないかと聞いてみて納得ができてからついていきます。そして、自分の大切なものも捨てることができるのです。

捨てたことは何を表すのでしょうか。生き方を変えることであり、価値観が変わったことです。弟子とは、イエスさまに従う人です。わたしについて来なさい。と言われる時、彼らが魚を取れなかったからで従ったのではありません。職業を変えるため従ったのではありません。彼らは弟子になるため、今まで自分が一番大切にした物を捨てたのです。舟と網を捨てたのです。彼らの家族もいました。生きていくためにはなくてはならない大切なものです。それを捨ててついていったのです。

創世記を見ると、アブラハムが信仰の祖先になったのは、彼は神さまに従順して生まれ故郷、父の家を出て行ったからです。

私たちはイエスさまのことをよく知っているし、信仰告白もしています。しかし、また捨てなければならないものがまた残っています。自分も知らずに悪い習慣が出てきます。誘惑に負けます。

そして、弟子は新しい習慣を持たなければなりません。礼拝、祈り、聖書を読むことなどです。良い習慣を持つためには、続けてやることです。

私たちが大切だと思うものを捨てることは容易ではありません。舟と網を捨てたのは、自分の人生の優先をイエスさまに置いたのです。後を振り向かないで主が願っている通りに生きていきます。これが捨てることです。

2.弟死になるためには訓練を受けなければなりません。
軍隊に入ると厳しい訓練を受けます。厳しい訓練を受けました。死にそうな特殊な訓練も受けました。なぜですか。戦争とか厳しい状況から生き残るためです。職場に就職しても研修期間を持ちます。会社に入って失敗をしないいで、仕事がうまくできるためです。Ⅰテモテ4:8節に、肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。肉体も続けて訓練すれば健康になります。続けて訓練をするものが勝利を治めます。

Ⅰサムエル17章にダビデとゴリヤテの闘いが出てきます。イスラエルの兵士たちは怖がっている時、ダビデが石投げでゴリヤテに勝って勝利を治めます。それは神さまの恵みでありました。しかし、ダビデが常に訓練をしていたから石投げを上手に使うことができたのです。最初はそうではなかったでしょう。

運動する選手を見ても分かります。怠け者は負けます。0.01秒を短縮するためどれくらい訓練をするかはよく分かります。訓練が勝利と関係があるからです。

このように、信仰の訓練も同じです。信仰生活を正しくし、霊的な勝利を治めるために私たちも訓練を受けなければなりません。霊的な訓練を受けることによって信仰者になり、弟子になれるのです。では、どんな訓練を受けなければならないでしょうか。

1)。みことばの訓練です。
イエスさまの弟子として呼ばれた人々は平凡な人たちでした。しかし、彼らはイエスさまから3年間訓練を受けて世界に福音を伝えたのです。みことばを聞き、学んだのです。運動競技の目標は何でしょうか。勝利をすることです。勝利をするためには、体力がなければなりません。同じく、霊的なみことばの訓練が必要です。

3.弟子たちに与えられた使命とは何か。
ペテロとアンデレは漁師だったのです。彼らは自分の仕事を熱心にしていました。彼らは夜通し働いた誠実な人でありました。イエスさまは学歴とか、家柄とか、財産などを見て、彼らを選んだのではありません。熱心に仕事をする誠実な人、自分の仕事に最善を尽くしている人々を選んだのです。19節で、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」とおっしゃったのです。

人間をとる漁師、すなわち、伝道者になれるよう彼らを呼んだのです。

聖書を見ると、神さまは堕落した私たち人間を救うため救いの計画を立てました。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、新約時代には、イエス・キリスト、使徒たち、今日は私たちも呼んでくださったのです。

イザヤ43:1に、「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。と言い、19節に、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」とおっしゃったのです。
神さまは、私と皆さん一人一人を呼んだのです。何故でしょうか。呼ばれた私たちだけではなく、私たちを通してすべての人を救おうとする計画があることです。

救いの計画とは、福音を宣べ伝えることです。イエスさまだけが私の救い主であって、イエスさまを信じる者だけが永遠のいのちを得る良い知らせを伝えることです。私たちの教会がこの小岩に建てられたことも福音宣教のためです。地の果てにまでイエス・キリストの福音を伝えるため建てられたのです。

Ⅰテモテ2:4に、神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。と書かれています。ある人は、この世が腐敗しているから、苦しんでいるからと言って一日も早く世の終わりが来たら良いと願う人を見ることができます。
しかし、イエスさまは一人でも多くの人々が救われるため愛を持って耐え忍んでいます。Ⅱペテロ3:9に、主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。と書かれています。

救いの御業は、イエス・キリストだけが唯一の解決策であります。ローマ10:9に、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。神さまが喜ばれるのは、福音を伝えることです。

一つの魂を救うことより重要なものはありません。それは神さまが喜ばれ事だからです。ここには愛と犠牲が必ず必要です。

今年は、私たちがイエスさまを見習うことは勿論、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるよう頑張り、イエスさまの弟子になりましょう。

동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
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