2006年2月5日 “苦難から喜びに” ルツ4:13-17
 신복규    | 2006·02·10 13:06 | HIT : 3,020 | VOTE : 474 |
2006年2月5日 “苦難から喜びに” ルツ4:13-17

私たちが新旧約聖書の目録を見ると、多くの人の名前が出てきます。その中で多くの男性の名前ですが、女性の名前も二つ出てきます。ルツ記とエステル記です。その中でエステルはヘブル人でありますが、ルツは異邦人です。異邦人の女性として聖書の書名につけられているのはすばらしい信仰者だからです。

私たちの名前が聖書には出てきませんが、私たちの教会の歴史では名前が記録されることができます。10年、20年後の教会の歴史に皆さんの名前が記録されますようお願いいたします。神さまに献身したした者として記録され、神さまの栄光の冠をいただきますよう頑張っていきましょう。

さて、私たちがこのルツ記を読む時、ルツの孝行だけを見てしまう場合があります。しかし、ルツ記が親孝行することだけを教訓するなら、聖書に東、西洋の他の孝行物語りがもっと多くあるでしょう。ルツより親孝行をした嫁(よめ)はいくらでもあるからです。ルツ記が聖書に書かれたことは、孝行と言う徳目と、神さまの救いのわざの歴史です。ここに注目しなければなりません。

異邦人の女性であるルツが何の望みのないしゅうとめナオミについて行って将来、メシヤが生まれるベツレヘムに戻って来て犠牲を払い、家系の代を繋ぎます。彼女が産んだのがオベデですが、オベデはダビデの父エッサイの父である。すなわち、ダビデの祖父であります。これは、ルツの登場によって絶望から希望が満たされる歴史に変わります。苦難の歴史が変わって救いと恵みの歴史になるのです。神さまはルツと言う女性を通して新しい歴史を始まったのであります。メシヤであるイエス・キリストを通して罪と死が支配する歴史が変わって救いといのちの歴史になったことと同様です。

今日は、ルツ記を通して苦難の歴史がどのようにして望みの歴史に変わったかを見てみます。

1.危機の歴史を見ましょう。
ルツ記1章から見ると、ナオミの家に訪れた不幸について書かれています。彼らが住んである地に飢饉があったので、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。彼らは約十年の間、滞在したのであります。ナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまったのです。
家を支える男たちが皆死んでしまい、家系を繋ぐことができない危機に置かされ、3人のやもめは望みがない苦難の人生になってしまったのです。絶望的な危機に立たされたのです。そこで、ナオミはふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についたのです。また、姑ナオミは、二人の嫁を彼女たちの実家に帰らせ、彼女たちが新しい人生を生きていくよう勧めたのです。

二人の嫁中、一人は姑の勧めによって自分の実家に帰りますが、もう一人ルツはそれを拒み、自分も姑と一緒に行くと言います。
1:16-17を見ましょう。1:16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。1:17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」

この告白から見ることができるのは、姑の淋しい姿や苦しみ、また、望みがない苦難の人生の中で、まことの友としてのルツの姿を見ることができます。これは、新約聖書の中で、罪人や収税人の友になってくださるイエス・キリストの姿が頭の中に浮びます。結局、二人はベツレヘムに帰ってきたのです。

故郷に戻って来たナオミを迎えてくれた人々に対するナオミのことばに彼女の現在の状況がどれくらい苦しいか表れています。
1:19 ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか。」と言った。
1:20 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。と言っています。

彼女の家族がモアブに行く時は、お金を持っていました。もっと豊かな生活をするために故郷を離れていきましたが、今は何も持ってない貧乏で帰ってきたのです。

私たちの人生はいかがでしょうか。私たちにもいろいろな苦しみが訪れます。その時、私たちが逃げてしまうとナオミのようになってしまうのです。本当は最初にベツレヘムを離れてしまったのが過ちでありました。でも、彼女は帰ってきたのです。これは、私たちに大きな教訓を与えてくれるのです。

神さまの働きは、私たちが絶望的なところに落ちて、自分の罪を悔い改める時、私たちを救い出してくださいます。

2.救いの働きを見てみましょう。
神さまはルツをボアズの畑に導いてそこで落ち穂を拾い集めるようになさったのです。最初は単純にお腹を満たすためでありました。しかし、そこから新しい歴史が始まったのです。ボアズはルツを助け、ルツを褒めたのです。
2:11-12に、
2:11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
2:12 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」

ボアズもナオミとルツが受けている家庭の苦しみを克服する道はただ、神さまだけにあることを知って、それをルツに悟らせたのです。

そして、ナオミは自分の家系を繋げるため計画を立て、ルツとボアズが結婚をして男の子を産んだのです。しかし、ここで注目すべきことは、ルツの名前が出てこないでナオミの名前が出てくるのです。苦しみの中にあったナオミに街の 女たちは「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。4:15 その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」

しゅうとめナオミが抱いている男の子は、彼女にいのちを回復させてくれたといっているのです。苦しみは終わり、彼女の名前の通り喜びに変わって新しい人生が始まったのです。望みがなかったナオミにすばらしい望みが与えられたのです。

今日、私たちにもいろいろな苦難が訪れます。しかし、このような危機が訪れる時こそ神さまの救いのわざを待ち、私たちが心を合わせ最善を尽くすべきであります。苦難の時、不平不満、つぶやきは、家庭と教会を破壊するサタンの働きです。私たちがルツのように自分を犠牲し、お互いに仕えていくとき、神さまの救いのみ手が現れるのです。

ナオミの家族は、飢饉を乗り越えるためモアブに行きましたが、モアブで10年間の滞在は苦しみばかりだったのです。もっと豊かな生活を望んで行ったのに夫を亡くし、二人の息子も亡くしてしまったのです。彼女たちはモアブの生活を清算してベツレヘムに帰ってから幸せの道が開いたのです。

私たちもこの世で生きて行く時、いろいろな苦しみが訪れます。その時、人間的な方法ではなく、ただ、神さまだけに頼って苦しみを乗り越えていきましょう。神さまは必ず私たちの道を開いてくださいます。問題も解決してくださいます。
동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
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