2006年4月16日 “復活の望み” Ⅰコリント15:12-20
 신복규    | 2006·04·15 11:57 | HIT : 2,898 | VOTE : 468 |
2006年4月16日 “復活の望み” Ⅰコリント15:12-20

人間が抱いている最大の悩みと恐ろしいことは、死の問題です。死は人間のすべての夢と計画を中断させ、奪いとられることだからです。それで多くの人々が死を解決して見ようと努力しますが、しかし、死は人間の力では解決することができない問題です。このごろは、医学が発達して不治の病気を直したり、栄養をとって平均寿命が長くなったのが事実です。だが、それにもかかわらず、死は人間が永遠に避けることができない宿題です。

それで、人々はこのような死の特性が分かって、人生の難しい問題を死で解決しようとする人が多くいます。生きることが厳しくなると、死ですべてのものをけりをつけようと思ったり、自分が嫌いと思う人を殺してしまったりします。また、死を人生の終りだと思う人々が多いです。

ユダヤ人たちがイエス様を十字架にかけて死なせた理由が何ですか。イエス様の話を聞くのが恐ろしかったからです。イエス様の一言が自分たちの失策を指摘したり、自分たちの罪と信仰を批判したからです。

そんなイエス様を見ていると、目の中に入っているちりのような存在だったです。このような困った立場を兔れる道は他の方法がなかったです。イエス様を殺してしまう道だけないと思ったのです。すなわち、イエス様を殺してしまえばすべての問題が解決されると思ったのです。それで彼らはイエス様をピラトに告訴をして結局は十字架にかけて殺したのです。

しかし、彼らの考えは外れてしまいました。彼らの判断は、むしろイエス様をキリストとして知らされ、彼らの愚かな行動は永遠に洗うことができない罪を加える結果をもたらしてしまったのです。十字架に殺せば、自分たちの目の前から永遠に消えると思ったが、イエス様は三日目によみがえったのです。

今日は、世界の教会が復活節記念主日として守っています。復活したイエスさまの慰めと恵みが豊かに注がれますよう祈ります。

ヨハネ11:25-26 イエスは言われた。わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。この問いは、2千年が去ぎた今日にも変らず私たちに聞く質問でもあります。
使徒パウロはイエスさまの復活に関していくつかの重要な事実を言います。
1.復活を信じなさいと言います。
12- ところで、キリストは死者の中から復活された。と宣べ傳えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない。と言っている人がいるのですか。
ヨハネ福音20:16-17 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戶がしめてあったが、イエス が來られ、彼らの中に立って言われた。平安があなたがたにあるように。こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て 喜んだ。
ところでその時トマスはいなかったです。イエス様にお会いした弟子たちが後でまなトマスにイエス様の復活に対して話す時トマスはその言葉を信じなかったです.彼はイエス様のトマス は 彼らに私は、その手に釘の跡を見、私の指を 釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。と言った。

一週間が経ってから後トマスと一緒に十一弟子が集まったがその集まりにイエス様が現われました。ヨハネの福音書20章27節―29節、それからトマス に言われた。あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。トマスは答えてイエスに言った。私の主。私の神。イエスは彼に言われた。あなたはわたしを見たから信じたのですか。 見ずに信じる者は幸いです。
Ⅰコリント15:6私があなたがたに最も大切なこととして傳えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に從って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。 その中の大多數の者は今なお生き殘っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同樣な私にも、現われてくださいました。使徒の働き1:10節―11節
今、コリント教会の中には、イエス様の復活を信じることができないと否認する人々があって教会が一つになることができなかったです。それで彼らの間違った信仰を正しくするためにパウロはこの手紙を書いたのです。

これは、今日も同じです。洗礼、十字架、癒しなどに対する信仰があっても、も復活信仰がなければなにもならないことです。

2.復活を信じなければならない理由があります。
パウロはどうして、あなたがたの中に、死者の復活はない。と言っている人がいるのですか。問いました。今度は復活を信じなければならない明らかな理由があると説明しています.

1)復活がなかったらすべてのものが虚しいと言います。
14そしてキリストが復活されなかったのなら、私たちの宣敎は實質のないものになり、あなたがたの信仰も實質のないものになるのです。 復活がないと、私たちの信仰、祈る事、伝道、奉仕、礼拝を捧げることの意味がないと言っています。

本当にそうですか。私たちの信じる信仰がみな虚しいのですか。いいえ.絶対に虚しい事ではありません。何故なら、イエス様は私たちの祈りを聞いてくださるからです。

2)復活がなければ私たちは相変らず罪人です。
17、18 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの 信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

イエス様が十字架に死んだことは、罪のため受けなければならない人類の死の代わです。私たちが死ななければならないですが、イエスさまが死んでくださったのです。したがって、イエス様の死を贖いのいけにえだと言います。 だから、イエス様が復活しなかったら、私たちは相変らず、罪の中にとどまり、永遠に救いの望みがないのです。私たちがイエス様の復活を信じなければならない理由は、復活を信じると永遠な刑罰から解放をされ、新しい生命を得ることができるのです。

3)復活がなければ世の中で私たちより不幸な人がいないのです。
19 もし、私たちがこの世にあってキリストに單なる希望 置いているだけなら、 私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

すなわち、人の一生が死が終りだと言えば、世の中で一番可哀想な人がイエスさまを信じる私たちであることです。

私たちが罪を犯してはいけない理由は、天国に対する望みがあるからです。天国の祝福を信じるから罪を犯さないで、厳しくても正しく生きようと努力しています。ところで、復活がなく、永遠な生命がなく、天国に行って報いがなければ、私たちより可哀相な人はいないのです。

信じない人々は自分の利益のために手段と方法を選り分けないが、私たちはそんなことができないです。むしろ愛を施しながら、生きていかなければならないし、損だと思っても、迫害を受けても耐えることができるのです。何故なら、私たちには復活の望みがあるからです。

3.イエスさまの復活は私たちの復活です。
20-“しかし、今やキリストは、眠った者の初穗として死者の中からよみがえられました。”

初めに実れば、次の年にも、またその次の年にも続いて実ります。このように、イエス様の復活が 初穗ということは、イエス様をキリストとして信じるすべての聖徒たちにも同じ復活の恩寵が臨むことです。すなわち、イエス様が復活の 初穗になったから私たちも復活の実を結ぶようになることです。だから、イエス様の復活は、私たちの復活であることを信じてください。

イエス様の復活は、私たちに信仰を与えてくださいました。だから、私たちは何も持っていなくても、世の中で堂々と生きていくのです。信仰があるからです。この信仰があれば、余裕が生じます。信仰と余裕を持って生きて行くのが復活信仰です。復活の望みが皆さんにもっと確かなものとなることを御名によって祈ります。
동경성광교회 신복규선교사입니다.
일본 영혼을 사랑하며,저들을 하나님나라로 인도하고저
이 땅에 온 사람입니다.
하나님께 바르게 쓰임받기를 소원합니다.
     
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